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おいどんで辿りつきました

 投稿者:ふわわんこ  投稿日:2014年 3月22日(土)00時02分22秒
  お邪魔します。現在ホームページは更新されていないのでしょうか。
私は宮崎県都城市に住んでいます。明治生まれの祖母が使う「おいどん」は誰の事を指すのかいつも疑問に思っておりました。
祖母は都城市と現在の曽於市の県境の出身です。
方言がきつく、「おいどん」は一人称なのか二人称なのかも判断がつかないままでしたが、
ホームページを拝見しまして、どちらの可能性もあるとのことを知り、モヤモヤがスッキリとしました。
知人の話では宮崎県高城市に住む女性も、医者どんなどと使用してたそうです。
大変勉強になりました。

失礼します
 
 

「おいどん」の記述

 投稿者:扇子 忠  投稿日:2012年12月18日(火)12時28分21秒
  現在、時代小説を書いていますが、その中に薩摩人の会話を挿入するために貴方の薩摩言葉の記述を参考にさせて戴きました。記述そのものが、アカデミックで、民俗学的な考証が成されていて本当に参考になりました。暇が出来たら、貴方のエッセイも読ませて戴くつもりです。本を上梓されればとも思います。ありがとうございました。  

おいどんについて

 投稿者:まちゅ  投稿日:2011年 3月10日(木)03時40分26秒
  コミック「仁」で西郷隆盛公が「あたいは西郷(せご)ごわす」と言っていたのが
印象的でした。
おそらく、私たちの世代(昭和30年代生まれ)は
「巨人の星」の左門豊作や松本零士先生の「男おいどん」の
影響を受けた世代ではないでしょうか?
 

私説公開

 投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年11月 3日(月)15時38分21秒
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。
 

>太郎様

 投稿者:めどう  投稿日:2007年 2月 8日(木)23時55分34秒
   はじめまして。書き込みありがとうございます。

 一人称おいどん(たぶん単数一人称のことですね)は「俺共」の変化したものではないかとのご指摘について、私なりの考えを述べさせていただきます。

 確かに、そういう説もありますが、「おいどん」を「俺共」という謙譲語であるとする理由として「身共、手前共という謙譲の意の単数一人称代名詞が存在するから」とするには、少々納得のいかない点があります。

 まず「身共」という言葉。これは一人称ですが、謙譲語ではありません。同輩またはそれ以下に対して用いられる言葉です。
 次に、「手前共」という言葉ですが、主に商人や芸人が、自分たち同業者を人括りにして、「わたくしの店」「わたくしたち芸人」という意味で使っていたのが、そのまま自分を指すようになったと考えられます。もともと「家」を意味する「うち」という単語が、「自分」という意に転化したのと同じです。「手前共」の単数形である「手前」という言葉自体、へりくだった言い方なので、この変化の過程には自然な流れが感じられます。

 ところが、「おいどん」の単数「おい(俺)」は、へりくだった言葉ではありません。そこに複数の意の「共」が加わって、なぜ謙譲の意が生じるのか、よく分からないのです。

 単数一人称が「俺共」であるとする説に納得し難い理由がもう1つあります。複数一人称の「おいどん」を実際の会話で使う場合、「俺共は」という意味で「おいどま」という活用形が使われます。「おいどん(俺共)」の「どん(共)」という言い方は、「ども(DOMO)」の最後の「O」が省略され「DOM」となったものなので、そのあとに、助詞の「は」が続く場合「おいどま(Oidom ha)」となるわけです。
 しかし、単数一人称の「おいどん」に「は」が続く場合、「おいどま」ではなく「おいどんな~」という発音になりますね。そんなところから、「共(Domo)」ではなく「殿(Dono)」の最後の母音が省略された「Don」であるように思われます。

 俺殿の意の「おいどん」が、謙譲の意に用いられるようになった経緯については、「西郷隆盛は『おいどん』と言っていたのか」の中で、仮説を紹介させていただきました。
 

オイドンについて

 投稿者:太郎  投稿日:2007年 2月 7日(水)16時33分40秒
  一人称のオイドンについて俺殿とされていますが、昔から謙譲語の一人称として「身共」や「手前共」という表現があるのでオイドンも俺共ではないのでしょうか?  

お久しぶりです、やまももです。

 投稿者:やまももメール  投稿日:2006年12月11日(月)21時18分4秒
  めどうさん、大変ご無沙汰しておりました、やまももです。

 拙ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」に7月にアップいたしました拙文「向田邦子居住跡地に行って来ました その2」に「やまももさんのいつも変わらぬ丁寧な文章が心地良く、また周囲の様子をなんとなく知っているだけに親近感を持って読むことができました」等のご丁寧なコメントをいただき、大変恐縮しております。

 それで私の方も久しぶりにめどうさんのホームページを訪問させてもらいましたが、そこで「西郷隆盛は『おいどん』と言っていたのか?」を拝読させていただきました。

 それによりますと、鹿児島城下で生まれ育った西郷隆盛は自分のことを「おいどん」とは呼んでいなかったと思われるが、旧川内市、薩摩郡の方では目上の方に対したときに謙譲の意味で自分のことを「おいどん」と称したようだと考えられるのですね、そして「おいどん」を単数1人称代名詞として使用するのは、「鹿児島弁としては、亜種的なものだと思われるが、その響きに、独特の個性と存在感があったため、代表的な鹿児島弁として広まってしまい、薩摩の英雄『西郷どん』とセットにされてしまったというのが真相ではなかろうか」と結論づけられておられますね。

 めどうさんとは前に鹿児島弁の「おいどん」についていろいろ論じ合ったことがありましたが、「西郷隆盛は『おいどん』と言っていたのか?」という文章はそのときよりさらに「おいどん」という言葉について認識を深められておられますし、またとても説得的なものになっているように拝察いたしました。お陰さまで私も大変勉強になりました。

 これからもいろいろ鹿児島のことについて教えてくださいね。どうかよろしくお願いいたします。

http://plaza.rakuten.co.jp/yamamomo02/

 

>常盤の森

 投稿者:めどう  投稿日:2006年 8月13日(日)08時55分19秒
   たくろうさん、ようこそ!
 このサイトを通じて、常盤町で時を同じくして過ごした同い年の人に出会えるとは思っていませんでした。インターネットって、いいですね。いつか同窓会したいですねぇ♪
 

常盤の森

 投稿者:たくろうメール  投稿日:2006年 8月12日(土)23時21分6秒
  ○めどう様  本当に不思議なもので 引き寄せられるようにここに辿り着きました。「ふるさとの町」拝見して いま様々な想いが錯綜し弾けて乾ききっていた脳細胞に雫を一滴一滴染み込ませています。懐かしいなぁ 写真見てると うっそうとした薄暗い湿気を帯びた森の独特の匂いまで感じました。(今はマイナスイオンとか皆思いっきり吸い込んでますけど)少年時代は、森の入り口は何となく畏れがあって少々苦手でしたけれどね。☆すいません突然の投稿。わたくしも「めどう」さんと同じく常盤町に住み全く同じような体験していました。子供って同じような行動するもんですね。わたくしも友達と常盤の森を抜けて雑木林の間から眼下に「田上町」を見たとき何とも言えない気持ち(ちと大げさでありますが新大陸発見!)になったものです。途中では「アケビ」「グミ」「シイの実」「へびイチゴ」なんてものを迷わず食べてましたね。(今全然見分けつきません) あっ 何だか う~んと長くなりそうなんで今夜はこれくらいにします。それから祝初戦突破鹿工! それと 皆様思いっきしプライベート&ローカルな話題で申し訳ありません。  

>中澤様

 投稿者:めどう  投稿日:2006年 8月11日(金)00時21分18秒
   書き込みありがとうございます。
 よろしかったら、より具体的な情報をお知らせください。

 尚、正しくは「松ノ木物語」ではなく「松の木の物語」です。
 

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