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>太郎様

 投稿者:めどう  投稿日:2007年 2月 8日(木)23時55分34秒
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   はじめまして。書き込みありがとうございます。

 一人称おいどん(たぶん単数一人称のことですね)は「俺共」の変化したものではないかとのご指摘について、私なりの考えを述べさせていただきます。

 確かに、そういう説もありますが、「おいどん」を「俺共」という謙譲語であるとする理由として「身共、手前共という謙譲の意の単数一人称代名詞が存在するから」とするには、少々納得のいかない点があります。

 まず「身共」という言葉。これは一人称ですが、謙譲語ではありません。同輩またはそれ以下に対して用いられる言葉です。
 次に、「手前共」という言葉ですが、主に商人や芸人が、自分たち同業者を人括りにして、「わたくしの店」「わたくしたち芸人」という意味で使っていたのが、そのまま自分を指すようになったと考えられます。もともと「家」を意味する「うち」という単語が、「自分」という意に転化したのと同じです。「手前共」の単数形である「手前」という言葉自体、へりくだった言い方なので、この変化の過程には自然な流れが感じられます。

 ところが、「おいどん」の単数「おい(俺)」は、へりくだった言葉ではありません。そこに複数の意の「共」が加わって、なぜ謙譲の意が生じるのか、よく分からないのです。

 単数一人称が「俺共」であるとする説に納得し難い理由がもう1つあります。複数一人称の「おいどん」を実際の会話で使う場合、「俺共は」という意味で「おいどま」という活用形が使われます。「おいどん(俺共)」の「どん(共)」という言い方は、「ども(DOMO)」の最後の「O」が省略され「DOM」となったものなので、そのあとに、助詞の「は」が続く場合「おいどま(Oidom ha)」となるわけです。
 しかし、単数一人称の「おいどん」に「は」が続く場合、「おいどま」ではなく「おいどんな~」という発音になりますね。そんなところから、「共(Domo)」ではなく「殿(Dono)」の最後の母音が省略された「Don」であるように思われます。

 俺殿の意の「おいどん」が、謙譲の意に用いられるようになった経緯については、「西郷隆盛は『おいどん』と言っていたのか」の中で、仮説を紹介させていただきました。
 
 
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